幕末のエネルギーのかけら 長崎

ご存知のように 長崎は 日本における唯一の外国に開かれた窓口でした。

鎖国における幕府の目的は 外国貿易の独占と キリスト教禁教の徹底 日本を孤立させ目隠しをして 自分たちの政権を安定させること・・・・

幕末になると 幕府の力が弱くなり 鎖国の鎖は緩み 外国の新知識導入は 幕府以外の藩にももたらされはじめます。

薩摩や佐賀藩は 幕府より強大な工業力を持って 兵器や兵制の近代化を進めます。

それもこれも新知識は長崎から得たものです。

幕末の志士達も 攘夷運動とはいいながら 長崎では外国人の武器商人と接触し 武器を買い 彼らの世話で外国へ視察させてもらったり 開国論者のごとく動き回ります。

最終目的は 日本を外国に侵略されない強くて豊かな国にすること。・・・・・ですから、
相手の文化を取り入れて利用し さらに彼らに追いついてやがて抜いてやろうと思ったようです。

勤皇の志士たちのなかでも 革命の指導的中心になった人物たち 坂本龍馬や 西郷隆盛 木戸孝允 などは 闇雲な攘夷論者ではなかったようです。
むしろ開国してどんどん欧米に負けないような国を作りたかった・・・・と私は想像しています。

しかしそれもこれも 尊皇攘夷の熱気に押され 指導者の多くは その凶刃に倒されていくのです。

その後長崎は 江戸時代ほどの賑わいはなくなりましたが 幕末軍艦を沢山作った縁からか  造船の街になり また外国人の多く住み着く 異国情緒あふれる町になりました。

グラバー邸(現グラバー園)のある海の見える高台は その後の長崎の発展をひと目でみられる好展望地です。

海があって 山があって 教会 石畳 中国寺 市電 造船所 街の明かり・・・・
夕方その全部を眺めていると ふっとため息が漏れて こんなきれいな街に 一年くらい住んで見たいなぁと思いました。

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